
狭山事件
1963年埼玉県狭山市で起きた女子高生殺人事件で、検察は身代金を取りに来た犯人を取り逃がし、その後も捜査は難航。被差別部落の石川一雄さんをスケープゴートにして逮捕し、強引な取り調べで自白を取り起訴。一審死刑。否認に転じた二審無期懲役。上告棄却。再審請求もすべて棄却。1994年仮釈放。
部落解放同盟が最重要課題として取り組んできた人権救済の戦いでもあります。
証拠はでたらめです。例えば、脅迫状を書いたとされる万年筆。大勢の捜査員で石川邸をくまなく探しても出てこなかったものが、知り合いの警察官が覗きに来たあとの捜査で忽然と鴨居から見つかる。しかも、インクの色も違う。こんなのが証拠採用されて、有罪の決め手になる。
私も、狭山市に行って解放同盟の人の案内で現地を回ったことがあります。警察検察の作ったストーリーがどれだけめちゃくちゃか。こんな理不尽で人が殺人犯にされて人生を奪われていいのか。憤りでいっぱいになりました。
冤罪事件の再審無罪の流れの中で、なんとしても石川さんが生きている間に再審無罪の報を聞きたかったです。「人の世に熱あれ 人間に光あれ」(水平社宣言)。そんな世であってほしかった。
2025年3月11日、石川一雄さん逝去。86歳。無念の旅立ちと思います。
悔しいです。
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