元TOKIOの山口達也氏の講演内容を報じるヤフー記事を読んで、なんか言い訳っぽい講演だなと思いました。それは、山口氏がどうのこうのというのではなく、過去のことを語る時の嘘っぽさ、重苦しさという意味で、です。

過去に起こったことの総括、評価なんて、今の自分の立ち位置で全然変わる。正しかったのか、間違っていたのか、どれだけ追いかけても答えは出ず、一旦出た答えもいつしかちゃぶ台返しでまた一からやり直し。どれだけ考えても、結局のところもう変えられないんだから、苦しいばかり。

同窓会でみんなに会って昔話をするのは楽しいんだけど、その楽しさと裏腹のうしろめたさはそういうところから来るのかもしれないと思ったりします。

これに対し、未来は単純明快。まだ起こっていないので解釈の仕様が無いし、やって来るもん仕方ないから立ち向かうしかない。不安はあるけど、場合によっちゃあ変えられる。未来のこと考えていた方が、精神衛生上よいし、第一楽しい。

確かなことは、その未来がどんどん減っているということ。年とともに、昔のこと思い出すのがめんどくさくなってきましたし、記憶が薄れているので思い出すという行為自体がしんどくて時間がかかる。そんなんだったら、未来にだけ依拠した方が終末の過ごし方としては有意義ではないか。

また、何書いてんだかさっぱりわからない。

さてと、今日も何が起こるのか楽しみに生きてゆこう。

にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岡山県情報へ
にほんブログ村