私にとっての中山美穂は、「世界中の誰よりきっと」よりも「色・ホワイトブレンド」なんですよ。竹内まりあ提供の傑作。1986年春。一緒に流行っていたのが、「My Revolution」「くちびるネットワーク」「バレンタインキッス」。バブル経済前夜で日本中が何かが起こりそうな予感に包まれ、私自身も初めてつきあってくれた女の子がいたりして、狂おしいぐらいにうきうきした春でした。
「色・ホワイトブレンド」の終焉と軌を一にして、私もどん底へと転がり落ちていきました。
中山美穂は、我々より7学年下になるんだから、「色・ホワイトブレンド」」の時は15~16歳に当たります。なんと大人びていたことか。時々年上に思えたりして、あ、違ったと頭をたたきます。享年54歳。彼女をめぐる時間軸が整理できないまま、彼女は伝説になってしまいました。
時代を引っ張った名優、名シンガーだったと思います。同じ時代にいてくれて、ありがとうございました。

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「色・ホワイトブレンド」の終焉と軌を一にして、私もどん底へと転がり落ちていきました。
中山美穂は、我々より7学年下になるんだから、「色・ホワイトブレンド」」の時は15~16歳に当たります。なんと大人びていたことか。時々年上に思えたりして、あ、違ったと頭をたたきます。享年54歳。彼女をめぐる時間軸が整理できないまま、彼女は伝説になってしまいました。
時代を引っ張った名優、名シンガーだったと思います。同じ時代にいてくれて、ありがとうございました。
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