
平打ちストとしては、岡山大学病院前の要衝「とりそばトシゾー」を押さえなければならなかったのですが、長引くコロナ禍と駐車場が無いという桎梏のために今日まで立ち往生していました。今こそ前に進む時。

「とりそば」が平打ち麺、「中華そば」が細麺のような感じですね。「とりそば」のチャーシューが鶏で、「中華そば」は豚のようです。迷うことなど何も無い、券売機で「とりそば」を注文。大盛りにすべきかどうか悩みましたが、ここは安全策を取り標準のままで。

満を持して「とりそば」登場。一騎打ちを挑む。

うっとりするような美しい平打ち麺。卓上の黒コショーが合うと書いてあるので、試すことも無く力いっぱいぶちかけてあります。
鶏と魚介が強烈に香る、明らかに化学調味料無しの濃厚スープと、それと見事に絡み持ち上げる平打ち麺。
私はここで、痛恨の戦略ミスに気づきました。なぜ大盛りにしなかったのか。「替え玉」はメニューに無い。勇気を出して厨房で腕を振るう女性参謀に頼んでみたけど、一撃のもとに撃退されました。
丼の中の麵や具材は、悲しくも次々に無くなっていく。厨房に背を向けて寂しそうに背中を丸めて食べる私を哀れに思ったのか、女性参謀が厨房を出てやさしく声をかけてくれました。
「チャーシュー丼とか、ご飯ものだったらできますよ。」
しかし私は、違うのだ、この麺がすばらしいのだ、大盛りにしなかったことを断腸の思いで後悔しているのだということを訥々と語り、「何とかしてもらえん?」と口説きに口説きました。
そしてついに、マニュアリズムの重い扉は動きました。街を変えるのは、いつの世も人と人との有機的なつながりなのだと確信しました。

慈愛に満ちた女性参謀が届けてくれた「替え玉」。スープが薄くならないようにと、醤油だれをかけてくれてあるお心遣いが胸を打つ。

残しておいたスープに着水。

至福の時は、延長戦に突入しました。
人の心の温かさと一緒に、この珠玉のラーメンをいただいた私は、「また来ますね。」と約束してお店を出ました。
下町風情の商店街を照らす5月の陽光が、やたら眩しく見えました。
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