こんなことを書くべきかどうかよくわからないのですが、今だから思っていることを記しておきます。

父の葬儀から一連の宗教行事に、喪主という立場でかかわっています。その際のわたくしの基本的なスタンスは、「生きている者の命と健康が一番大事」ということです。仏教は、葬礼の軸足を亡くなった人側に置きすぎていると思っています。

例えば、「オタイヤ」というものがあって、四十九日までの間7日ごとの夜に近親者が集まってお経をあげます。40年近く前の祖父の時には、夜中じゅうろうそくの灯を消してはいけないとか言って、みんな疲れているのに寝かしてもらえず、疲労も極地まで行きました。その時はまだ学生で名古屋から帰ってきたわたくしは、ああ仏教は残った者も連れて行こうとするんだなと思いました。

今でこそ、そういう無謀な言い伝え・作法は薄らいでいるようですが、それでも何で?と思うような呪縛は多いように思います。

今はコロナ禍でもあり、人が不要不急に集まったりしゃべったりすることをなるべくやめることで、みんなでコロナを乗り越ええようとしている折です。宗教行事も例外ではありません。最初のオタイヤこそ、みんなでお経をあげましたが(その時はまだ第6波は来ていなかったので)、2回めは極々近しい家族だけでお経は半分だけにし、3回目以降は時間差でそれぞれ勝手にお線香をあげることにし、読経はやめました。(やってる人もいると思いますが。)自由気ままなオタイヤです。

父も向こう側から、いつものように「でえれえもんじゃ。」と言いながら笑っているはずです。

もちろんわたくしが逝った時は、オタイヤも四十九日も要りません。一刻も早くそれぞれの日常に戻り、おのれが生きている間にやらなければならないことにまい進していただきたいと思います。

相続手続も大変なんだから。

にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岡山県情報へ
にほんブログ村