石原慎太郎さんが、「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」と遺言状に記したという。わたくしは石原さんの著書を読んだことがありませんし、政治的立ち位置もあまり好きではありませんでしたが、この考え方には大いに賛同できるものがあります。
「戒名」というものがあります。死んだらお寺さんがつけてくださるらしい。そしてさらに、「院号」というものがあって、お金を払えば戒名につけてもらえる。わたくしは40年近く前祖父の葬儀に臨んだ時から、そのことについてずっと疑問に思っていました。
戒名にはランクがある。昔はもっと安かったように記憶していますけど、今は「院号九文字」から「信士・信女」まで4段階あって、それぞれ30万円から6万円までのお布施が求められます。おかしくないですか。宗派によって違うんでしょうけど、人は現世がどんなに苦しくても、念仏を唱えお寺にお布施をしていれば、極楽浄土ではみんな幸せに暮らせるというのが仏教の教えなのではないのでしょうか。それなのに、あの世に行ってさえもまだお金がある無しで差別抑圧を受けなければならないのでしょうか。
わたくしも戒名はいりません。読経も要らないのでよろしくお願いします。ただ「骨を海に散らす」というのは、海岸から散らしたら叱られるでしょうし、沖に行くには船をチャーターしないといけないから遺族に迷惑がかかるので、どうかなあと思います。

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「戒名」というものがあります。死んだらお寺さんがつけてくださるらしい。そしてさらに、「院号」というものがあって、お金を払えば戒名につけてもらえる。わたくしは40年近く前祖父の葬儀に臨んだ時から、そのことについてずっと疑問に思っていました。
戒名にはランクがある。昔はもっと安かったように記憶していますけど、今は「院号九文字」から「信士・信女」まで4段階あって、それぞれ30万円から6万円までのお布施が求められます。おかしくないですか。宗派によって違うんでしょうけど、人は現世がどんなに苦しくても、念仏を唱えお寺にお布施をしていれば、極楽浄土ではみんな幸せに暮らせるというのが仏教の教えなのではないのでしょうか。それなのに、あの世に行ってさえもまだお金がある無しで差別抑圧を受けなければならないのでしょうか。
わたくしも戒名はいりません。読経も要らないのでよろしくお願いします。ただ「骨を海に散らす」というのは、海岸から散らしたら叱られるでしょうし、沖に行くには船をチャーターしないといけないから遺族に迷惑がかかるので、どうかなあと思います。
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