そろそろ親しい同級生たちが、一人称単数の呼称として、少なくともLINEやSMSの文面上は「わし」を使うようになってきました。高校時代から話し言葉で使っていた同級生もいたし、おかしらも初めて会った30代の頃から「わし」です。

一般的な印象として、男の子は成長につれて「僕」から「俺」に変わり、年配の域に達するにつれ「わし」の頻度が増えてくる。この転換は、時にドラスティックであり、変わらざるを得ない人生の無常観を表す。
が、しかし。 
私も例に漏れず「僕」から「俺」へと変わってきたわけですが、年配の時期を迎えて60代を目前に控えた今、「わし」への転換ができずはたと立ち止まっています。

自分の成長過程でとらえた「わし」は、家制度の因襲の中で戸主権振りかざした男たちの使った呼称であり、村の権力構造に乗っかって偉そうにしていた大人たちの言葉なのです。絶対使いたくないと思った否定すべき呼び名。今でこそそういう拒絶感は薄らいではいますが、やはり「わし」を使うかどうかという問題は、己が権力側に立つのか民衆側に立つのかという極めて階級的な問題として、目の前に横たわっているのです。(そんなおおげさな。)

では、何を使うのか。文面上は「わたくし」「私」、口語上は営業マン時代からオフィシャルなシーンで使って来た「わたし」「私」しかない。しかしこれも、どこかよそよそしさが漂う。近代的自我の形成が弱く、確固とした「I」を持たない日本的言い回しの悲哀。
私より年上の男性でも、「僕」や「俺」を実にナチュラルにかっこよく使いこなされている方もおられて、いいなあといつも思います。

こんなどうでもいい悩みが深い。

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