元プロ野球選手の高橋一三さんが亡くなりました。(以下、敬称略)

わたくしが、プロ野球を見始めたのが、1974年小学校6年生の時。読売ジャイアンツがV10 を逃した年。

この年の高橋一三は、登板するたびに打たれてばっかりで、結局2勝11敗の無残な成績でした。
子どものわたくしが、この投手が前年23勝もした大投手だとは、知る由もありません。前につんのめる投球フォームもおかしくて、変なピッチャーだなという印象しかありませんでした。

翌年は、長嶋監督1年目で、読売が最下位になった年。投手陣完全崩壊する中で、高橋投手は6勝6敗のまずまずの成績を残しています。しかし、小川や横山の記憶はあるのですが、高橋の記憶は全くありません。言葉は悪いけど、影の薄い選手だったかもしれません。

この年のオフシーズン、張本勲との交換トレードで、高橋は富田とともに日本ハムに移籍します。
当時は、読売と日本ハムでは人気も観客動員も雲泥の差があり、そのギャップに苦しまれただろうとお察ししますが、移籍1年目の1976年、高橋は10勝をあげ気を吐きます。

その後も、腰痛に苦しみながらも、いぶし銀の活躍をつづけ、1981年には14勝6敗の大復活。日本ハムをパリーグ優勝に導きます。

1983年、引退。通算167勝132敗12セーブ。
その後は投手コーチや解説者、アマチュア野球の指導などで活躍されました。

若い頃の自分にとっては、あまり注目した選手ではありませんでした。しかし、50歳をすぎて振り返ると、ものすごい球を持ち大エースとして脚光を浴び続けた選手ではないけれど、確かな技術でちゃんとした仕事をし、野球界を支え、気がついてみたらちょっと誇らしい戦績を残している。そんなカッコよさが胸を打ちます。

高橋一三さんのご冥福をお祈りします。ありがとうございました。


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