邪馬台国吉備説を探求する「吉備歴文会」の例会が、ヒロチカシゲギャラリーで行われました。

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先日の「吉備特殊器台復刻プロジェクト」で、3種の特殊器台のうち、もっとも古くもっとも難しい「立坂型」の復元に携わられた作陶家の中心人物、平川忠さんの講演です。

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特殊器台復刻や、中世土窯の復元の話など、多くの内容がありました。大変興味深く拝聴いたしました。

その中の一つだけお伝えすれば、特殊器台復刻にかかわってみて、現役の作陶家として感じたことは、古代の作陶家はこの特殊器台を、恐るべきハイレベルな技術で作っており、しかもデザイン性も非常に合理的で優れているということです。現代の作陶技術でも、最新とされている技術でさえ、日本古代の作陶に使われているそうです。

思うに、例えば現在の皇室が晩餐会を執り行うとき、現代日本最高の料理家による最先端の技術と彩りを尽くした料理が所狭しと並ぶ。それと同じように、古代の作陶家は、当時最高の技術と最先端のデザイン性で特殊器台を作り、王の要請にこたえた。

まるで、当時の作陶家が己の仕事に賭ける意気込みや、作陶過程での悲喜こもごもの息吹が伝わってくるようではないですか。まるで、自分たちの技術を、後世の我々に誇示しているようではないですか。

「モノ作り立国日本」のルーツが、ここにある。

そして、この「立坂型」特殊器台は、岡山にある弥生時代最大の墳丘墓「盾築」頂上で発見されるのです。

卑弥呼以前に、日本最大の墳丘墓と日本最高の技術を尽くした特殊器台は岡山にあった。そして、卑弥呼の時代とその後の戦乱を経て、それらは大和に移り、大和王権の古墳や埴輪の時代が幕を開けます。

さあ、卑弥呼はどこにいたのでしょうか。

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(2015年1月17日 瀬戸内市立美術館にて撮影した復刻「立坂型」。)



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