その日ぼくは、いつものように鈴鹿のアパートに妻を残し、会社に出かけて行った。「何かあったら電話ちょうだい」と告げて。妻の出産予定日は、もう1週間も過ぎていた。
前日夜も、妻がお腹の張りがいつもと違うと言うから病院に連れて行ったんだけど、結局兆候は現れず、すごすごと帰ってきたばかりだった。もうこれは長丁場だ、ゆっくり待つしかないと腹を決めたところだった。
その日の仕事は、三和シャッター四日市営業所の所長が得意先に連れて行ってくれるという約束をしてくれたので、サッシルートへの同行営業だった。特に妻の出産について伝えなかったし、ぼくも今日は無いと思っていたので、所長の車で四日市市内をまわった。
ある得意先で商談が終わり、話が雑談に移った頃異変は起こった。妻からの携帯電話のベルが鳴る。「助けて!帰ってきて!」
ぼくは前後不覚に陥った。正常な判断ができなくなった。
お客さんの前であることもわきまえず、所長に事情を話し、その腕を引っ張るようにして得意先を出る。とにかくできるだけ早く、妻の元へ帰らなければならない。
幸いだったのは、この所長、社内では部長待遇の大物のくせに現場の方が好きで、一営業所で陣頭指揮を執っている胆の座った人情派だったこと。素早く事情を察し、「よし、帰ろう!」とばかりに四日市営業所まで車を飛ばしてくれた。営業所で自分の車に乗り換え、鈴鹿までぶっとばした。
アパートのドアを開けたら、そこには服を着替え泣きそうな顔でへたり込んでいる妻の姿。
妻をゆっくりと車に導き、あとはもう一直線、23号線を南下して三重大病院へ急ぐ。子どもが産まれようとしているのだ。自分には、急いで車を走らせることしかできない。
なんでこんなに、津は遠いのだ。なんでこんなに車が多いのだ。信号が赤なのだ。車の中で、出産が始まったらどうするのだ。そのときは、どうしたらいいんだ。なんとか持ちこたえてくれ。天に祈る。
一日千秋、いや一分千光年の時を超え、どうにか三重大病院の構内へ滑り込む。待っていてくれた先生と看護婦さんに妻を預ける。
ぼくがこんな行動をとっていることを、会社には報告していない。でも、かまうものか。毎日真面目に仕事しているのだ。これぐらい許せよ。
ぼくは、立会出産を決めていた。万難を排してそうするつもりだった。
分娩室に通じるロビーのソファーに横たわる妻の背中をさすり、「ヒッ、ヒッ、フー」と言い続けた。
そして、満を持して分娩室へ入る。「立会出産」つったって、男は何もできない。必死で戦っている妻の手を握り、おろおろとただ「頑張れ頑張れ」と激励するしかない。
時間は動いているのか止まっているのか。自分は泣いているのか笑っているのか。何もかもわからない。かつて経験したことの無い異様な時空間の先、ついにその時は訪れた。
しわくちゃで真っ赤な小さな生き物。泣き声。えらい髪の長いやつだなと思った。
長い長い大仕事を戦い抜き、安堵して分娩台に深く身をゆだね泣いている妻に、お疲れ様。
いつも自分のことばかりで他人を思いやることができなくて、人を傷つけてばかりの未熟な自分が、ついに父親になった歴史的一瞬だった。
病院の書類に、「ここにお父さんの名前を書いてください」と言われ、はて?ぼくの父親の名前を書くんだろうかそれとも妻の父親の名前だろうかと悩んで手を止めていたぼくに、看護婦さんは笑いながら告げた。
「あなたのことですよ。」