縄文期、稲作の伝来と地球の寒冷化という環境の変化によって、東北地方は、温暖で稲作に適する西日本に対して生産性の面で比較的劣位にありました。にもかかわらず、そこに住む人々は、限られた富を仲良く分け合って、平和に暮らしていました。   

 

しかし、西に興った大和朝廷の膨張政策により、何度も侵略戦争の憂き目にあいます。東北の民はこれとよく戦い、ヤマト側に追い返していました。   

 

時は平安期、知将坂上田村麻呂の登場により、事態は一変します。田村麻呂は陸奥・胆沢に築城を強行し、一気に津軽まで攻め込みました。そしてついに、東北の英雄アテルイは捉えられ、東北の民の組織的抵抗は終結。東北はヤマト平安朝に服属させられます。   

 

しかしながら、その後東北に台頭した安倍氏は、左遷同様に中央から送られてくる官吏を懐柔し意のままに操り、したたかに東北を事実上の独立国として運営するようになります。   

 

次に東北を手中に収めるべく攻勢をかけてきたのは、新興武士団の一派・源氏でした。源氏の棟梁源頼義・義家父子は、散々安倍氏を挑発した挙句、前九年の役を起こし、途中苦戦に苦戦を重ねながらもついに安倍藤原連合軍を壊滅させます。東北は、清原傀儡政権のものとなります。   

 

またしかし、ここでも東北の民は不屈でした。安倍藤原側の遺児、藤原清衡が源氏を利用して後三年の役を起こし、清原氏を打倒。その後源義家の影響力も排除して、東北に主権を回復します。そして、藤原四代に渡る黄金文化の栄華を築き上げました。   

 

時は鎌倉へ。三たび東北の富への野望を露わにしたのが、平家を倒し鎌倉幕府を開いた源氏の棟梁、源頼朝でした。弟義経のいる東北へ情け容赦ない大軍を差し向けます。(義経は脱出して蝦夷から大陸に渡り、チンギスハンになります《?》。)藤原氏はなすすべもなく滅亡。東北は頼朝のものとなり、それ以後ヤマト側の秩序の中に組み込まれていきます。  

 

そして、今日に至るまで、時として伊達政宗や上杉鷹山などの英雄を生みながらも、東北が東北として自治権を持ち、独自の文化を発展させることはありませんでした。 

 

(今でも、東北がヤマトから迫害を受ける構造は残っていると思います。) 

 

  しかし、今年東北楽天イーグルスが日本シリーズで勝って優勝したのは、東北の縄文的優しさがヤマト的覇権主義に再び勝ったという歴史的偉業のような気がしてなりません。 

 

騙されて捉えられ京都で見世物にされた挙句惨殺されたアテルイや、一度は命を助けた源頼義によって悲惨な死ををとげさせられた藤原経清や、鎌倉幕府の大軍を前に平和主義を貫き農民たちに一指も触れさせなかった藤原泰衡など、今は天にいる優しい英傑たちが、ちょっとでも溜飲を下げていたらいいがなあ。と思います。