まれに、娘を車に乗せて高校まで送っていくことがある。特に話すことがあるわけではなく、一言二言言葉の断片を行き来させたら、あとはまっすぐ前を見て運転する15分間。
娘が不自然に体を左にひねって車窓を眺めていると、ちょっと不安になったりする。沈黙が支配したら、この間を打開する糸口を探さないわけではない。でも、また場違いなことを言ってかえって気まずくなってもいけないので黙り込む。
そういう時は、東京海上日動が、CMに乗せて届けてくれた60秒の物語を思い出し、これが普通なんだよなと思い直して、フフフン♪といつまでも続くわけではないこの時間を楽しむことにする。
CMが、見る人の人生をアシストする力になることがある。