6月23日、不慮の事故で亡くなったY君のことを少しだけ書かせてください。
Y君が、19年の短い生涯を確かに駆け抜けた証として。
Y君が、わたくしと出会ってわたくしの心に足跡を残してくれた感動をここに刻印するために。
わが子が邑久剣道スポーツ少年団で剣道をしていた小学生時代、裳掛剣道スポーツ少年団の同い年にY君という剣士がいることを知っていました。その選手は、小学生離れをした剣さばきで、数々の大会で必ず優勝争いにかかわる活躍をしていました。
邑久中学校で、わが子はY君と剣道部の同輩となりました。厳しい練習に励みました。
Y君は、2年生時に名門邑久中チームの先鋒を担い、チームの切込隊長として敵の前に立ちはだかりました。そして夏の岡山県大会団体で優勝、県代表として全国大会に臨みました。
先輩の3年生が引退後、Y君は新チームのキャプテン兼大将となり、地区大会で個人団体とも見事に優勝を飾ります。いよいよY君時代の幕開けかと思いました。
しかしY君は、ここで足を痛めてしまいます。思うように勝てない試合が続きました。それでもY君は試合に出場し続け、チームメイトを引っ張っていきました。
そして3年生となって迎えた最後の県大会。足を引きずるようにして死力を尽くして戦ったY君は、個人戦ベスト8、団体戦準優勝の結果を残しました。続く中国大会では、個人団体とも3位という金字塔を打ち立てました。そして、岡山県勝ち抜き大会優勝、西大寺高校杯優勝で中学時代を終えます。
邑久中学校卒業式を終えた教室で、学生服のボタンがほとんど無くなった出で立ちで一人座っていたY君を覚えています。
高校時代は、足は癒えたようでしたが、その素質ゆえに勝つことを宿命づけられた重圧と戦っているように見えました。
そして今年大学生となったY君は、すべての重圧から解き放たれて、学生剣道の集大成としての活躍を見せてくれるはずでした。しかし、そのスタートラインに立った所で、突然帰らぬ人となってしまいました。
天才でした。天才とはこういうことなのかと、眩しい思いで彼を見ていました。
口数は少なく優しい男でした。でも人望厚く、人を惹きつける男でした。Y君が大将だったから、わが子たちは彼を目標にがんばれた。厳しい練習にも耐えられた。上手になれた。
我々保護者応援団も、Y君が大将だったからあのチームに夢を見て追いかけ続けた。素晴らしい思い出をもらえた。
Y君にはありがとうと言いたいです。とにかく、いてくれてありがとう。
わたくしの中で、きみは永遠です。永遠の最高の剣士です。
さようなら。言いたくないけれど、無念だけれど、悲しいけれど、さようなら。








