わが子の京都への引越し。お店を臨時休業にし、車に積めるだけの家財道具を詰め込んで、4人家族総動員で未明の岡山を発つ。デミオは狭い。家具や電化製品は、購入したお店から直接現地への配送の手はずになっている。
途中のサービスエリア。初老の夫婦を見かけ、この人たちも子どもの自立を見送っったんだろうななどと、これまで一度も思ったことのないようなことをふと思う。
京都市左京区までは、たっぷり休憩をとっても3時間半で着いた。近いものだ。
京都では終日引越し作業。近くの鴨川では桜が満開だけど、プチ観光やグルメなど叶うはずもなく、昼食はスーパーで買ってきた惣菜をダンボールの上に並べてつっつく。それはそれでまた、おもしろいものよ。
家具が届き、狭い部屋ん中で組み立てる。次々に買い物を思いつくから、5回ぐらいホームセンターを往復する。不要になったダンボールの山。どうすんだ、これ。
家から持ってきたテレビが映らないと大騒ぎ。岡山の設定のままじゃ、映るわけないよ。
一日中かかって、ようやく部屋がなんとか住めるような形になった頃、タイムリミット。まあこれだけやっておけば、あとは一人でも何とかなるやろ。
最後、せっかく来たんだから、京都大学を覗いてみました。
これが、若き日のIさんやまさおくんやゆーのすけくんが過ごした場所かー。初めて拝見いたします。
生協中央食堂は、一品料理スタイル。これで¥600弱ぐらい。朝昼晩やっている。
新入生歓迎の集いに行くというわが子を残し、往路より一人少なくなった人員で帰路についた。にもかかわらず、廃ダンボールがやたら場所をとって、ギュウギュウ詰めの車内だった。
帰り道、ずーっと昔にも同じような感慨を覚えた気がして記憶をたどった。
あれは、わが子が保育園デビューした頃のこと。多くの親達がそうであるように、わたくしも妻も初めて離れ離れに過ごす時間に心震え、後ろ髪引かれる思いを断ち切って園をあとにした。
奴は泣きじゃくっていたけれど、どうにもならないことがわかると、窓辺に座り迎えが来るまでずーっと外を見ていたという。
保育園児の奴の目に、何が映っていたのかはわからない。でも、今のフレッシュで、親との別れなど何の意にも介さない新大学生の奴の目には、きっと己の輝ける未来だけが映っているに違いない。
達者で暮らせ。