子どもたちにゲームは買い与えませんでした。欲しがっていたのはよくわかっていたんだけど、心鬼にして「ダメだ!」という意思を貫きました。三重県のおばあちゃんと一緒に買い物に行ってゲームを買ってもらって帰ってきた時も、断固として返品させました。



子どもの気持ちを思うと、親として断腸の思いではあったけれど、どうしても認めることができませんでした。納得がいきませんでした。だから、ゲームに関しては親の考え方を子どもに押し付ける結果となりました。


子どもたちが一緒に集まっているのに、それぞれのゲームに夢中になっているような遊び方をいいとは思いませんでした。


地域のイベントや田んぼの学校でも、せっかくの外遊びの機会にゲーム持ってきて画面見ているだけの子どもが多く、絶対にこんなんではみずみずしい感性は育たないと思いました。


目が悪くなることは必至だと思いました。


バーチャルの世界と現実が混同されて、人が死ぬということさえリアルに感じられない。人は死んでも生き返るなんて思っている子どもが実際にいることに驚き、その元凶はゲームであることは間違いないと思いました。

自分の大切な子どもの心を、ゲームメーカーの金儲けアイテムのために破壊させてなるものかと思いました。



子どもたちも、親父が頑固なことはよく知っているから、それ以上買ってくれとは言わず、こっそり友達にさせてもらったり、別の遊びをしながら大きくなっていきました。



今、あれでよかったんだろうかと自問自答しています。答えはわかりません。ぼく自身も50歳になりいろんなことが認められるようになり、情にほだされやすくなり、鉄の意志を貫くなんて無理になってきています。今の自分だったら、あの時買ってやったかもしれないなと思います。まだ小さかったあいつらにした仕打ち、あいつらの辛い気持ちを思うと罪悪感でいっぱいになります。時として、「ごめんな」と跪きたくなります。



50歳の病。