最近は、男子高校生の制服にネクタイを採用する高校が多いですね。
我々の頃は、圧倒的に学ランでした。そしてそれは、産業界から学問の府が独立しているということの象徴だったような気がします。
昔は大学や学生の自治がたてまえ上認められていたから、学問とか研究とかいうものに企業が介入することは今よりは難しかったんじゃないでしょうか。学問の成果はあまねく一般社会に還元されるべきもので、一私企業の利益追求とは一線を画した。
学問側の研究成果が企業側によって恣意的に曲げられることもなかったし、逆に企業側にとっても客観的で質の高い研究成果を手にすることができるという利点もあったんじゃないですか。
しかし今はその辺の事情がだいぶん変わってきているようです。産業界の意向に沿って、企業に利益をもたらし、資金も引っ張ってこられる研究がもてはやされて、そうでない研究は干され気味なようにお見受け致します。
そんなんでいいんですかねえ。そんなに企業の思い通りになる人材ばかり作っていいんですかねえ。
男子高校生のネクタイは、学問と産業との境界が無くなっていく産学協同の流れの中で、ビジネススタイルが高校生に押しつけられた結果なのではないかと思っています。すごく違和感を持って見ています。
こんな時に思い出すのは、谷川俊太郎さんの詩。
若さのイメージ
遠くまで見えるんだ
スモッグのかなたに夢が見えるんだ君には
そうじゃないのか?
遠くまで行けるんだ
幸せを捨ててはだしで行けるんだ
そうじゃないのか?
まっ白い冷蔵庫に爪で一筋の深い傷をつけ
埃だらけのジャンパーに仔犬を抱いて
君はひとりで口笛を吹いて---
それともそうじゃないのか?
ネクタイなんてしめなくていい!