今日は邑久中の参観日でした。午後2時10分に駆けつけました。3年生にとっては県立高校の自己推薦入試の日。受験する生徒はそれぞれの高校で闘っているはずですね。
もちろん中一の娘の様子を見に行ったんです。でも今日は、もう一つ目的がありました。
2年生の学年主任のA先生。社会科の先生。この人、地域の歴史にとっても造詣が深いのです。参観授業が終わって、次の学年懇談に向かう先生を捕まえて聞いてみました。
「先生、1分だけすみません。邪馬台国はどこにあったと思いますか。」
「近畿だと思いますよ。」
「邪馬台国吉備説はどう思います?」
「吉備地方は大きな力を持っていたのは事実ですが、楯築遺跡が邪馬台国の時期よりちょっと前になってしまうので時代がずれるんです。やはり箸墓などの大きな遺跡のある近畿の方が可能性が高いですね。吉備は投馬国ではないですか。」
忙しいのは間違いないのに、妙に熱く語ってくれたA先生でした。「またゆっくり」と手を上げて去って行かれました。
まだまだ圧倒的に少数派の邪馬台国吉備説。非常に魅力的な推論ですが、状況証拠はいくつもあるにもかかわらず、物証が全然足りないのが現状のようですね。








