2008田んぼの学校inせとうちは休校することになりました。参加者が少なくても強行しようか、最後までホントに悩みましたが、やっぱりこれが正しい選択だと思います。無理はしない、やめる時はきっぱりやめる、これもこういう団体を預かるリーダーの鉄則ですから。
応募してくださった皆さん、期待していてくれたみなさん、ごめんなさい。
ちょうどよい機会かもしれません。今期の休校を判断した時点をもって、私「田んぼの学校inせとうち」への関わりを一区切りつけさせていただこうと思います。今日事務局へ申し出て、引退ということにさせていただきました。
疲れました。この一言に付きます。これ以上前へ進むのは無理だなと感じています。
ボランティアとして、「邑久町ふるさと農業少年団」時代の1995年から昨年度まで参加させていただきました。本当は責任者(団長)になってから10年目になる今年度まで何とか頑張って終わりにしようと考えていましたが、今期こういうことになり、天の時とか潮時とかって本当にあるんだなと感じています。無理して今期開校していても、いいことにはならなかったかもしれません。
振り返ってみても、至らないことばかりだったなと思います。たくさんの人に迷惑をかけたと思います。でも引き受けた以上すばらしい団体にしたくて、全身全霊取り組みました。うちにある道具も機械も総動員し、自分の持つネットワークも全て使い、経営の時間も家族との時間も削って一生懸命にやりました。私は農業者ですから、農業の楽しさ・厳しさ、食べ物の美味しさ、収穫する喜び、命の尊さ、そんなものが伝えられるように工夫しました。一介の農民のできることは全てやったつもりでいます。そして、ある程度のレベルのものは残せたんじゃないかなと、ちょっとだけ自負しています。
田んぼの学校を運営する中で、多くの方に出会いました。その出会いの全ては、私がお墓まで持っていける宝物です。
私にかかわってくださった皆さん、ありがとうございました。助けてくださって、ありがとうございました。本当に、ありがとうございました。
思えば田んぼの学校の運営に悩み、いつも追いつめられていたと思います。イライラしている時に娘に話しかけられ、「うるさい!」とはねつけたことも1度や2度ではなかったような気がします。悪かったなあと反省しています。これからはもっと気楽におだやかに、家族との時間を楽しめるようにしたいし、イチゴ作りやアヒル農法にもっとのめり込んでいきたいと思っています。
そして何年かした後、また新しいことを始められたらいいですね。
「田んぼの学校inせとうち」は私の私塾ではありません。この団体の歴史の中のある時期を、私が担当させてもらっただけのことですから、瀬戸内市の田んぼの学校はこれからも続いていくと思います。どうか新しい人が新しい発想で盛り立てていってくださることをお願いしたいと思います。
元気な子どもたちと過ごせた時間はすっごくたのしかったよ~!
ありがとう。











