人は若い頃、自分は何になるのか、自分は何者なのかを問い、悩む。でもいつか知らないうちに大人になり、仕事を持ち家庭を持ち、忙しさにかまけてその問いを忘れてしまうことも多い。

 人はより良きことをしたいと思うし、より良き自分でありたいと願う。それは当たり前のこと。

 実際、自分はもっといろんなことが出来ると思っていました。農業を通じて地域にかかわり、歴史にかかわることが出来ると思っていました。不遜にも、自分にはその資質があると信じていたかもしれません。

 でも、今振り返ってみて何も出来ていないなと思う。ちゃんと成果を残せたものなんか何も無い。
 何かをやろうとすれば、他の何かがおろそかになる。何かをしに行けば、他の誰かに負担を残す。家族に仕事を押しつけても、「地域のためだからいいじゃないか」などという勝手な論理で正当化していたかもしれない。

 特に40歳を過ぎてから強く感じている、回転しない頭脳、腰痛等で動かない身体。
あれもできる、これもやろうではなく、あれもできない、これもできないという縮小再生産型思考。

 別に自己卑下している訳じゃない。

 今確かなことは、自分はイチゴ生産者であり、2人の子どもを育てている父親であるということ。つまり「生活者」であるということ。
 一番大切なのは、イチゴ農家として経営をちゃんと組み立てることと、子どもたちの成長にかかわって世に送り出していくこと。

 それ以上でも以下でもない、それがちゃんと出来る自分でありたい。

  ”何かはわからん 足りんものがあったけん
                生きてみたんも 許されることじゃろう
   自分の明日さえ 目に映りもせんけれど
     おせっかいな奴やと 笑わんといてくれ”(拓郎「唇をかみしめて」)